ついに、あの新撰組三番隊組長「斎藤一」の本物の写真が見つかったようです。
今までは親族の証言を元にした肖像画しかありませんでしたが、写真なので疑いようもありません。(親族が見て本人だと証言すればですが。)
それでは早速どうぞ。
・新選組三番隊組長
こちらが斎藤一本人の写真とのことです。
出展:ロイター
何かと謎が多い斎藤一ですが、ここまで鮮明な写真が残っていたのですね。
この写真は1897年(明治30年)に撮影されたもので、歴史研究家のあさくらゆうさんや、斎藤一の子孫の方々への取材で明らかになったそうです。
斎藤一は1844年2月18日生まれのため、上記写真が撮られたのは53歳か54歳の時となります。50代前半でこの風格は、やはり只者ではない感じがにじみ出ています。
・今までの肖像画は何だったの
これです。斎藤一の長男である勉さんから聞いて描いた肖像画らしいのですが、パッと見似ても似つきません。
出展:Wikipedia
長男であれば似ているかどうかは一目瞭然かと思うのですが、真相はどうなのでしょうね。
ただ、パーツをじっくり見ると、老いて顔全体が少し垂れると似ていないわけでもないと感じます。鼻以外は似てませんか?
妻の時尾との間に生まれた長男(32歳の時に出生)から聞いて描いた肖像画であることから、この肖像画は40歳前後のものであると推察します。
・この風格イメージ通りかも
斎藤一と言ったらるろうに剣心を連想する方も多いのではないでしょうか。
今回の時の写真をみると、るろうに剣心の斎藤一のイメージとあっているような気がします。
煙草をくわえながら牙突を撃ってきても不思議ではありません笑
・余談(基本情報)
斎藤一は72歳で胃潰瘍亡くなっています(1915年9月28日)。
名前は以下のように変わっています。
山口一(1844年~1862年)→斎藤一(1862年~1867年)→山口次郎(1867年~1869年)→藤田五郎(1869年~1915年)
また、晩年に以下の話が残っています。突きの名人であったのは本当のようです。
明治の末に神道無念流有信館の山本忠次郎が木に吊るした空き缶を竹刀で突く練習をしていたところ、斎藤と思われる老人が通りかかり、忠次郎の竹刀で缶を突いてみせた。老人は一瞬のうちに突き、缶は揺れることなく貫通したとされる。老人は「突き技は突く動作よりも引く動作、構えを素早く元になおす動作の方が大切」、「突きは初太刀でうまくいくことは少ない。私が成功したのはほとんど三の突きでした」などと語ったという。 (wikipediaより引用)
最後に、以下のページには斎藤一に関する家族構成や子孫の方々の情報が載っています。子孫の方は東京で暮らしていらっしゃるそうですね。
るろうに剣心でも大河ドラマの新選組でも斎藤一は好きであったため、本人の写真が拝めたことに興奮しました。
以上、「斎藤一の写真が見つかる!50代前半でこの風格は紛れもなく武士」の記事でした。
(追記)
妻の時尾、長男の勉、次男の剛と共に4人で撮った写真もありました。